AIを使って文章を書いたり、画像を作ったりしていると、
「そうじゃないんだよ…」とつぶやきたくなる瞬間があります。
まるで、言葉が通じない相手と話しているような、あのもどかしさ。
■ 「夕焼けの街角」をお願いしたはずなのに
先日、私はAIに「夕焼けの街角に立つ男性の写真」を作ってもらおうとしました。
頭の中では、オレンジ色の光に包まれた温かい街並みを思い描いていたんです。
ところが出てきたのは、どんより曇った空と薄暗い路地裏。
男性は後ろ姿で、どこか物悲しい雰囲気。
同じ「夕焼けの街角」でも、AIの中では無数の解釈の一つを選んだだけ。
私のイメージは、まだ伝わっていませんでした。
■ 「違う」と伝えることの難しさ
そこから修正しようとしても、これがまた難しい。
「もう少し明るく」と言えば、空が燃えるようなオレンジになり、
「人を笑顔にして」と言えば、観光ポスターみたいな明るさになってしまう。
AIは“人間の曖昧な表現”を理解できません。
「ちょっと」「なんとなく」「いい感じに」――
そういう言葉は、AIにとっては情報が足りないんです。
結果的に、私の“感覚”はなかなか届かない。
■ プロンプトは翻訳作業だと気づいた
この経験から、私はプロンプトを書くことは翻訳だと感じるようになりました。
自分の頭の中のイメージを、AIが理解できる「具体的な言葉」に変換する作業です。
「オレンジの光が差し込む」「温かい色調」「夕方の静けさ」
そうやって言葉を丁寧に重ねていくと、ようやく私の想像に近い結果が出ました。
AIとの会話に必要なのは、抽象的な感情ではなく、言葉の分解力なのかもしれません。
■ AIは“私の伝え方”を映す鏡
AIを使っていると、うまくいかないときに感じるのは“AIの限界”ではなく、
実は“私の伝え方”の課題なんだと気づかされます。
そして、うまく伝わったときのあの感動――
まるで、やっと通じ合えた外国人との会話のように嬉しい。
AIは、私の言葉の磨き方次第で、どこまでも賢くなっていく。
同じようにもどかしさを感じている人に、少しでもヒントになれば嬉しいです。

